夢の国、僕の楽園

victory!勝利!victory!勝利!victory!勝利!

佐藤勝利と出逢った話

今回は佐藤勝利との出会いについての話なので極めてロマンチックで詩的な文体を心がけ、元祖推しとそのグループ名は大体の人には分かると思いますが意図的に伏せています。

長く憂鬱なこの時期にしがないオタクの小話と思って暇つぶしに読んでもらえれば幸いです。



彼を初めてきちんと意志を持って、一目見たときのクラッとくるような衝撃に名前をつけることが今も出来ないでいます。


佐藤勝利、彼を知らないジャニーズファンは多分きっと少ないんじゃないでしょうか。

例に漏れず私も彼を、彼の名を知っていました。

約3年間、とある他のジャニーズグループに傾倒し執着し盲信するようにハマりきっていた私は「ジャニーズが好き」と言うよりも「推しグループが好き」なオタクだったので有名どころの名前がそこそこわかる程度の人間でしかなく、そんな知識の中でも「佐藤勝利はジャニーさんのお気に入りの美少年」というのは常識のような認識で私の緩い認知の中にありました。


そんな認識でしかなかった彼を私が意志を持って見たきっかけは割と不純な理由でした。


2019年某日、私は混乱と漠然とした不安とそれらがぐちゃぐちゃになって生まれたハイテンションの中でぼんやりと液晶画面を眺めていました。

私の愛してやまない、それこそこのグループ以外に靡くなど言語道断、恥を知れ、くらいの気持ちでいたグループに2度目の脱退(厳密には3度目ですが私がハマってからでは2度目でした)があり、今までの熱狂の分、ショックというか、混乱というか、絶望と呼ぶにはまだまだ朧気な感情の濁流が私の中で渦巻いて、それはもう形容し難い、本当に「カオス」と呼ぶのが相応しい精神状態に陥ってしまったのです。


深く傾倒するほどに好きだったからこそ、直視すること、考えること、色々なことに疲弊しました。

簡単に言うならば目を逸らしたい、逃げ出したい、考えたくない、そういうことです。

推し1人を好きでいれば良かったと強く強く後悔し、1度目では爆発した感情を垂れ流したが故に顔も知らない人々の怒りを買い、同じくらい私も顔を知らない人々に怒り狂ったのを思い出して、怒るのも悲しむのも嫌気がさすような徒労感がありました。


とにかく、気を紛らわせなければいけない。

これは防衛本能だと思いました。

まだ、まだこのグループを好きでいるには直視することを一旦避けた方がいいと思ったのです。


そんな時に私は新しい拠り所を求めるように、少ない知識の中で色々な人の名前を調べました。

愛してやまない彼らよりキャリアが上のグループも下のグループも調べました。

悲しきかな、結局魂はジャニオタなので咄嗟の時にもジャニーズしか頭に浮かばなかったのです。

元々はアニメも漫画も舞台もゲームも手広く手を出していたオタクだったのに、1度でもジャニーズを知るとそこから出られないのだな、と今冷静になってみると驚きです。


とにかく色々調べました。

美しい、可愛い、かっこいい、沢山のアイドルは確かに私を慰めました。

楽しくて愉快で感動的な沢山のエピソードは私の心を踊らせました。


でも、上滑りするようで全然頭に入らない。


ポロポロと涙が出て、思い出が頭の中を駆け巡り、未来への不安が躙り寄るのです。


もう嫌だなあ、と漠然と思いました。

ジャニーズを好きになって、苦しかった学生時代は本当に華やいだ。

大好きな推しが楽しそうに笑う姿、歌声の伸びやかさ、踊る姿に胸を打たれて、コンサートは宝物のような思い出でした。

1度目の脱退では怒りと悲しみを経て、アイドルとの向き合い方を自分なりに考えたつもりでした。

大好きな推しはずっと変わらず気丈に笑っていて、私は彼をもっと好きになっていきました。

苦難を前に改めて団結したグループをより深く愛していこうと思いました。


それでも、2度目の目の前の現実に心が折れていたのです。

新しい形に慣れようとして、頑張っていたから余計に。

何をしても、何を見ても、彼らの笑顔や涙が私を苛むのです。

愛してやまない彼を、彼らを直視出来ない自分を恥じました。

気丈で居られない自分に失望しました。

ファンたるもの、という意識が割と強い人間だと今も自認していますが当時の私は今よりもその傾向が強かったのだと思います。


不意に、私は数ヶ月前のとある記事を思い出しました。

それは私の人生における数少ない気の置けない友達の推すジャニーズグループの中で私が1番気に入っている子の映画出演の記事でした。

その子を好きになって、友達と気楽に語り合って過ごすのが最適解だと私は思ったのです。


その時に調べた映画の名前が「ブラック校則」だったのです。


時に皆さんはカンフル剤という言葉は聞いたことがあるでしょうか。

樟脳のことです。今は一般的に使われるものでは無いですがかつては強心剤、心臓の働きを強める薬、かなり広い意味でいうなれば蘇生のために使われていたそうです。転じてカンフル剤とはダメになりそうなことを立て直す即効性のある手段を指すこともあります。


まさにカンフル剤。

私にとって「佐藤勝利」という人はそういう存在でした。


佐藤勝利、と検索欄に入れた時に私は確かに何かが立ち直ったのだと思います。

彼を、知識としての名前でなくて1人のアイドルとして初めてきちんと意志を持って見たとき、クラッとくるような衝撃に見舞われたのです。


美しくて、美しくて、私は自分が日本人として生まれ、多彩な表現力を持つ言語を学んできたというのにあまりにも乏しい語彙では彼の美貌を語る術を持たないと思いました。


大きくて煌めく黒い瞳を星の名前で例えることも出来ないのです。

華やかで美しく、それでいて儚げで悲哀すら感じる様な年不相応の眼差し。

華奢で割と小柄でありながら、堂々と真ん中に立つ荘厳さ。

私は彼が喋っているところを見たことがありませんでした。


美しい容姿への評価とドラマチックなスターダムの話しか知らなかった私は彼の容姿を見て参ってしまったのです。


容姿端麗、眉目秀麗、羞月閉花に明眸皓歯。

知ってる言葉を並べても語るに足りないのです。

こんなに綺麗な人を知らないと、私は真の意味での一目惚れを知りました。


悲しみも苦しみも彼の前には無意味に見えました。

美しさは麻薬です。

思考を圧倒する美しい容姿、美しい彼を知りたいという欲求、知り得ない彼の全てを空想しては知りたいと願うの繰り返し。


望んだとおりに彼は私の気を紛らわせたのです。

暴力的なまでの強制力を、彼は画面の中の微笑だけで私の中に植え付けたのです。


佐藤勝利という美しいカンフル剤は私のジャニーズファンとしての心臓に絶大なる効果を発揮し、私はその日から彼のことを知るのに没頭しました。


彼は容姿のみならず声も美しく、言葉も美しく、私はのめり込んでいきました。

聡明な彼の言葉や行動を知れば知るほど惹かれ、残酷な程に強く輝くスターダムを駆け上がった彼の幼い背中を知るほどにより一層彼の存在が私の中で輝いていくのです。


そして、彼の浮世離れした美貌と高潔なる人格とおちゃめで愉快な年相応の一面に私は確かに救われていたのです。


佐藤勝利と出会ったことで、私はジャニーズというコンテンツを別の入口から初めて見たのです。

今までひとつの場所で、いつしか何かと戦うように愛し、傾倒した彼らとはまた違う形の「アイドル」に触れた私は何処か冷静に元々好きだったグループに向き合うことが出来ました。


中堅と呼ばれた彼らの安定感や技術力、業界でのポジション。

それを外側から初めてゆっくり見ました。

音楽的なアプローチの違いも、コンサートやファンの傾向の違いも初めて知りました。


彼らは形が変わっても、歪になったのではなくて、新しい結び付きできちんと居場所を持っているのだと気付かされ、愛してやまない最愛の推しの笑顔に大人の余裕とミステリアスさがあると改めて惚れ惚れしたのです。


佐藤勝利の美しい類稀なる容姿と穏やかで理知的な発言で形容し難いクラッとくるような衝撃に悩まされるように、あの日諦めてしまいたくなった推しの手が届かないミステリアスな微笑に思い巡らせ悩む日々を私は取り戻してしまったという訳です。


いつかの私が毛嫌いした掛け持ちという形に今や落ち着いてしまった訳ですが、なんだかんだ後悔はなく、それはもう幸福にやっています。


形が変わっていくことへの恐怖や不安はいつの時も私の背後に蠢いています。

それでも、私がどう生きていても佐藤勝利の目眩がするような人間離れした夢のように美しい顔に私は何度も惹かれるでしょう。

そして、あの日逃げ出したくなった推しの奇妙で孤独で不可思議で優しい言葉と甘くて冷たい微笑にも私は何度も惹かれるでしょう。


結局そういうことなのです。

私のジャニーズファンとしての命は奇しくも蘇生されたのです。

あの日逃げ出したくなった推し、推しグループに出会ったことで生まれたジャニーズファンとしての私は愉快で必死で七転び八起きのグループによってすくすく育てられ、あの日死んでしまいそうだったジャニーズファンとしての私は佐藤勝利のこの地上で1番美しい容姿による衝撃で一命を取り留めたのです。

そうして草臥れ果てた心は佐藤勝利の美貌と気高くおちゃめな在り方に救われ、SexyZoneの美しくも奇妙奇天烈な在り方によってここまで元気にしてもらった訳です。


どちらもなくてはならない、私の大事な大好きなグループ。

佐藤勝利ともうひとり、どちらも私を私たらしめるかけがえのない魂の推し。


私は素晴らしい生きがいを両手に馬車馬のように働く幸せを獲たのです。


これが私と佐藤勝利の出会いの話。

今なお形容し難いクラッとくるような衝撃に度々襲われながら、その揺るぎない至高の美貌と真摯で高潔な在り方に救われ、華奢で可憐な細腕で彼は確かに私の心を繋ぎ止めてくれたのです。


夢のように美しい佐藤勝利尊い笑顔、あの日の恩を胸に私は今日も元気いっぱいオタクをしています。


八面玲瓏、沈魚落雁、仙姿玉質に一笑千金。

私は今も佐藤勝利の美しさに相応しい語彙を学ぶべく今改めてお勉強をしなければいけないのですが、それもまた一興。

永久の0番を背負う彼に私は今日もまた惚れ惚れとするのです。